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あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

光から愛され祝福される人生を選ぶ


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『光から愛され祝福される人生を選ぶ』 2010-5-24日記
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つい何日か前、自分のHN(ハンドルネーム)を変えました。
変えることにたいして別に未練は殆どありませんでした。
未練を持つほどの愛着もなかったからといえば嘘になります。それなりに愛着のあった名前だったからです。にも関わらず、躊躇うこともなしにHNを変えたことにはワケがあります。

以前に、約5年と数ヶ月に渡り使用していた ルカの街並 というHN。
現在、この名前をそのまま使い続けることに対する必然性を感じなくなってきたということが、まず第一の理由。これが一番大きいですね。
しかし、だからといって、ルカの街並というHNを使ってきた時の流れは全て無駄だったのか?というと、全くそんなことはありません。
HNを変えるということ、それは現在の自分にとって必要で重要な変化であり、
いま自分が新たに作り出している小さな流れというのは、実は過去の流れからの断絶を一切受けていないばかりか、本質的な部分を的確に抽出した上で、その流れの上に己が在り続けることから目を背けていないという点において非常に意味のある行為であったと僕自身は捉えているのです。


さて、話は変わって。つい数週間前に ”七つの海を越えて、あなたが世界へ旅するための序章”などと銘打った日記シリーズを幾つか発信していました。
こうした日記タイトルの選定に関し「意味わかんない」と首を傾げている方々も少なくなかった、いや多かった、もっと言ってしまえば殆どの方が眉間に皺を寄せていたかもしれない(笑)ことと想像しています。
では、
あれら一連のミステリアスなタイトルに込められた何かというのは、単に意味のない言葉遊びとして編み出された軽薄なサムシングだったのでしょうか?。
バカをいってはいけません(爆)。
僕はそんなに暇人ではないのですし、自分にとって或いは他の生命体<つまりは全ての生命の集合体>にとって如何なる重要と思われない対象に多くの時間を割くほどに無垢ではないし破廉恥なほどに計算高くもない。
-----説明が困難なほどの強烈な覚醒へと到るために必要な幾つかの事柄-----
そのような事柄が自分の背中を押し更なる光の高まりへと上昇できそうな予感から派生した ”願い” のようなものが込められていて、
そして、
自分でも上手に説明の出来ない、言葉にならない、言葉を超越した光の地平線への眼差しへと駆り立て、しかし且つ、人間の業として言葉や想いへと向き合わせ同時にそこから離れることの繰り返しの中から逃げ出すことなく、神の声を眩しいばかりに大自然の中から宇宙の中から音もなく聞きなさいとのメッセージを添えて、僕だけでなく、
全ての命の輝きを後押ししてくれていた・・・・・ゆえに形容し難いほどの難解さと大いなる安らぎ、そのふたつが織り成す混沌のエネルギーは相当に説明困難な代物であり、それはその時の自分に必要な渦であった・・・たとえそれが的確に表現出来ない状況であったとしても・・・そのように少し前の自分の言動を振り返っています。
まあなんというか、変化が訪れる瞬間というのは誰にとってもそういうもんです。理屈は後からついてくるみたいな、そういうもんなんですよ。


桜 1





もし、あなたが今、正しく生きていれば、
人生は美しい。
途方もなく永遠に触れることが可能なほど、目も眩むほどに・・・美しい。

望むもの、あらゆるものすべてが、あなたの想うがままに運ばれ構築されてゆくでしょう。
もしも、あなたが、自然の流れと共に、正しく生きてゆくならば。






あなたが、もし仮に、金色の光の渦、全ての命を永遠へといざない七色の光に煌めく究極の時の流れを生きる者であるのなら、
そのように生きてゆきたいと願うならば、
上に太文字で、稚拙な表現を何ら恥じることないまま刻んだ5行のエトセトラは、必須条件です。

そんなふうに僕自身、自分にとっても重要な自戒として内に掲げながら、
無駄な事柄の連続・集積であったに過ぎない自分の人生を、これからも少しずつ、豊かな色と更なる輝度でもって美しく彩ってゆきたいなあと考えています。



初夏、桜ふぶき舞う風景





それはそうと。
正しく生きるって、いったいどういうことですか?。なんてツッコミが入りそうですね。

-----正しく生きることとは一体なにか?-----

それを知るために、僕もあなたも誰も彼も、業を生き、また、生かされているといっても何ら差し支えないかもしれないほどに深いテーマであり、そうしたテーマから離れず、忘れず沿うように自分の脇に置きながら生きていると、
時に天から贈り物をもらうような感覚になることがあります。
どんな贈り物でしょうか?。
些細な贈り物にすぎないかもしれないけれど、それは眩しいばかりに煌めく崇高な光・女神の微笑みとしか形容し難い天からの祝福を浴びる瞬間に等しいといえるわけです。
と同時に、なによりもまず、
現代日本を生きる少なからずな人々のように精神を病んだり、毎日のように報道を賑わせている自殺他殺といった殺傷のエターナル・バミューダ・トライアングルの渦から解脱することが出来ないまま、その渦の激しさばかりがエスカレートしてゆく地獄を永劫に生き続けることになる愚かさや惨めさから自分を解き放ち、
まるでそれが当然のように、健やかに笑顔で人生をまっとうできるかもしれませんし、また、いま九州を震撼させている牛の命を巡る恐ろしい疫病だって人類は本来、回避出来ているかもしれないのです。



生きていると、誰にとっても色々ある。
荒波が時に襲い掛かる海の上を旅する航海なのだから、色々あるのは当たり前のこと。
そんなふうに誰にとっても例外なく色々ある人の生の中、
----- 光から愛され祝福される人生を選びたいものだ -----
と思う。

躊躇いや迷いを内に抱えつつ、それでもなんとか日々、己の内なる羅針盤の調整を行い、笑顔を忘れずに前に進むことの混乱と浪漫の波そのふたつのはざまで揺れる航海=僕らの人生があるのだから、
これが航海なのだというリアルな現実の厳しさから目を背けずに前に進み続けたい。

そんなふうに己に言い聞かせ気合を内に生み出すことでしか見えてこないこの世の真実や究極の美、あるいは天から降り注ぐ神々しい光の粒子の洪水のような煌めきや圧倒的な言葉も出ないほどの安らぎというものって確かにあると思うし、それがこの世を豊かに生きるということなのかもしれないと考えるから。



湖のほとり






























(以上、2010年5月の過去日記『光から愛され祝福される人生を選ぶ』より)















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